解離と上手くつきあいたい

解離のパートナーと家族の私のこと

人生への愚痴

こんにちは、りんと申します。

だいぶ時間が経ってしまいましたが、相も変わらず平穏なんだか波乱なんだか分からない日常を送っています。

今回は私に焦点を当てていきたいと思います。

どうでもいい、世間話です。

というより、人生の愚痴です。

 

三・四ヶ月ほど前から全身の痛みがありまして、「リウマチ性多発筋痛症」と診断されて約一月程。

痛みはだいぶ和らいでおりますが、その代わり、本来の持病である「腰椎分離症」と「腰椎ヘルニア」の足腰の痛みが全力で主張してきてて勘弁してくれ状態です。

情けない話、四捨五入で四十年生きておいて、就労支援に通っている無職です。

 

前障害年金をもらっていると別のブログに書いたことがあり、その際ちらほら見られたのが、生活保護と誤認している人です。

「なんにもせず、国から金もらえていいよな」

そう思える人はなんて幸せなのでしょう。

私の等級ならば、月6万程度です。

どうやったら自活できますか?と言ったら、実家に居りゃいーじゃんと思える人は、帰れる実家があって羨ましい限りです。

そう言った声を受けてなお何も言えず(今書いてますけど)人としてのプライドを捨てて恩恵を受けております。

誰が好きで精神を病みますか?

誰が好きで国の金で生きていきたいと思うのですか?

帰りたい場所なんてない。

私の帰りたい場所は今やKの傍で十二分に潤ってます。

Kと出会い家族になるまで、私はずっと死にたかったんですから。

 

話は変わりますが、私が医師に言われて一番ほっとした言葉は、「あなたはお母さんに精神的な虐待を受けていたと他人に言ってもいいんですよ」です。

あぁ、この程度でも虐待という名をつけていいんだ、と。

許された瞬間でした。

今いわゆる毒親で苦しんでいる皆さんはきっとどこか理解してくださるのではないでしょうか。

 

ごめんなさい。

希死念慮垂れ流してすみません。

でも私は一生あの人を許すことは無いです。

 

こんな私を呪いの沼から救い出してくれたのはKです。

Kがいなかったら、私はいまだに死に場所を探してうろついている事でしょう。

だから私は最初の記事であれだけ必死だったのでしょう。

 

私たちはお互いには恋愛をしませんでした。

いきなり家族でした。

今私は初めて人に愛されて必要とされています。

この記事はすぐに消すかもしれません。支離滅裂なので。

ただ、それだけKは私にとって大きい特別な存在なのです。

甘え甘えられる唯一の人です。

 

初めて長く生きたいと思いました。

一瞬でも一秒でも、Kより長く生きることが私にできる恩返しです。

毎日母親の夢を見ても、隣の部屋には彼がいる。

これ以上の幸福はありません。

 

なんとなく思ったことを書き留めたい人間なので、思考整理かねて書いてみました。

そっと消すかも、しれませんが。